牟田口は大きな声挨拶をすることに強いこだわりを見せる。
牟田口:お客さんが来たらみんなで立って大きな声で挨拶しましょう
※注意:事務職です。市場ではありません。コンサート会場でもありません。少年野球でもありません。
それを一人実践している男がいる大月だ。
彼は大きく”不快な”声をまき散らす(敢えてあいさつとは言わない)
大月:いらっしゃいませ!!!!!!!!!!!
牟田口はなぜ大きな声で挨拶することを評価するのだろう?
目に見えるものでしか判断出来ないからだ。分かりやすいことでしか判断出来ないからだ。
大きな声で挨拶をするというのは、
心技体揃ってないと良いパフォーマンス出来ない大変難しいものだ。
・心
→相手の事を敬うおもてなしする気持ち
・技
→声帯のどの部分を使うか?
使う部分が悪いとかすれる声帯にダメージが来る
・体
→基本体力 しっかり息を吸い込めるか?大きい声を出すという筋力を使うパフォーマンスに体が耐えうるか?
これらの3点が揃って初めて大きくて”気持ちの良い”挨拶が可能となる。
大月はどうか?
ここでは敢えて大月の心技体の部分を寸評しない、
しかしながら複数人から『あの人は怒ってるんですか?』と言われることが全てであろう。逆に彼の挨拶気持ち良いですねという感想を聞いたことがない。
結果から逆算しても
人を不快にさせる
↓
パフォーマンスとしてダメ
↓
心:常時人を見下す姿勢
技:普段の話し方と電話に出る時と怒っている時挨拶する時と同じ発声法
体:80歳を超えた老人からカゼを貰う貧弱性、しょっちゅう風邪で休む
原因から考えてもとても良い挨拶をしているように思えない。
そして牟田口は大月の“わめき”を大きく評価している。大月の挨拶の中身の分析が出来ないあたり低能力者なのであろう。
気持ちの良い声で挨拶することは大変素晴らしいことだ。
しかしそれをはき違え
気持ちの良い声で挨拶することは大変素晴らしい
↓
大きな声で挨拶をするのは素晴らしい
↓
大きな声で挨拶しなさい
ではあまりに短絡的である。
挨拶の目的は相手も自分も気持ち良くコミュニケーションを取るための準備をすることだ。
大きな声を出すことが目的ではない。小さい声でもしっかり気持ちが届けば問題ない。もっと言えば声を出さなくても伝わる。軽い会釈でも通じ合うということがあるはずだ。ということはあいさつというのは声の大小よりも『気持ちを届ける』をいうのがもっとも重要なファクターになってくる。声の大小というのはTPOに左右されるので使い分ける必要性が出てくる。(葬式会場でバカでかい声でいらっしゃいませとか普通言わないだろう。自分が友人に招かれている人の結婚式でも言わないだろう)
無能者は
・見える範囲が狭く見えるものでしか判断を下せない。
・目的と手段がズレる
無能者は自分を無能者と自覚がないので自分が見えているものが全てだと錯覚する。反対に有能な者は自分は無能だと思っているので自分も見えていない範囲にも気を遣う。ますます差が開くのだ(笑)
牟田口が個人的に無能なことは本人だけの問題だが
他人や組織に首を突っ込み指導し指揮を執ると問題が大きくなる。
その低レベルな物に反発する優秀な人間は去り、
低レベルなものを愚直に遂行出来る風の人間だけが揃うのだ。
低レベルな者だけが10人集まっても
普通の3人に勝てないし有能な1人に勝つこともままならないだろう。
低レベルな者に権限を与えるのは大変危険極まりない。
がしかし牟田口の本当の問題点はもう一つ大きなものがある。これが他の無能者より牟田口をより悪質にしているのだ。