黒田官兵衛は秀吉の軍師として有名です。
軍師というと頭が良くて優秀というキーワードが出てくると思いますが、
その中でも”ブラック”という所が官兵衛の特徴を表していると思います。
エピソード1
本能寺の変で織田信長が討たれ途方に暮れる秀吉に
官兵衛:これは好機(チャンス)ですぞ
と促しすぐに引き返して明智光秀を討ちに向かわせました。
普通は自分の上司の上司が裏切られて殺されていることを考え、
『殿の心中お察しします』
『おのれ光秀め!!』
というような言葉が出てくるところをハッキリ
『ここは天下を狙うチャンス』であると。
思ってても中々言えませんwww
しかし緊急事態にハッキリ言えることこそ器量の大きさを表してると思います。
“黒い”ことが元々バレていたのかこれで発覚したの不明ですが秀吉からシビアな目で見られるようになります。
エピソード2
文禄5年(1596年)の慶長伏見地震の際、如水は蟄居中の身でありながら倒壊した伏見城に駆けつけたが、秀吉は同じく蟄居中の加藤清正の場合には賞賛して警護を許したのに対し、如水に対しては「わしが死なず残念であったろう」と厳しい言葉をかけたと言われている。※注意:如水は官兵衛のことです。
↑これは長年一緒に過ごしてきた直属の上司から言われた重い言葉。
若干機嫌の悪かった秀吉。官兵衛は自分が死んだら喜びそうと思っているだろうなと考えているのがそのまま発言に出た模様。
エピソード3
秀吉が家臣に「わしに代わって、次に天下を治めるのは誰だ」と尋ねると、家臣達は徳川家康や前田利家の名前を挙げたが、秀吉は黒田官兵衛(孝高)を挙げ、「官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るであろう」と言った。
これは逆に秀吉がご機嫌たっだ時の発言。官兵衛の本質は天下を狙う力量はあることはもちろん、(主の寝首を掻いて)狙いに行く”黒さ”を持っていると見ていたから出た発言です。
秀吉から官兵衛に対する対応、貶し(エピソード2)と褒め(エピソード3)と違いますが根っこの評価(ブラック)は一致していると考えます。
☆官兵衛を別角度から
秀吉にはもう一人有名な軍師竹中半兵衛がいます。
私自身、竹中半兵衛も好きな軍師ですが彼と比較すると分かりやすいです。
エピソード4
名をとった」半兵衛・「実をとった」官兵衛
出展:NHK DJ日本史
例えば、敵の城を取り囲んで城の中の水や食べものがなくなるのを待つ、いわゆる“兵糧攻め”という戦い方がありますが、同じ兵糧攻めをやっても半兵衛と官兵衛ではやり方が違いました。
一体どう違ったのでしょうか?
まずは半兵衛から見ていきましょう。
秀吉は織田信長の命令を受けて中国地方を攻めますが、この時攻略した城の1つに三木城(みきじょう)という城があります。戦国大名の別所(べっしょ)氏が立てこもっていた城で、今の兵庫県にありました。
この城を攻める策を練ったのは、竹中半兵衛。半兵衛は、数万の大軍を動員して兵糧攻めを行います。
このとき、半兵衛が気を配ったことがありました。
それは、領民の暮らしを守ること。
三木城攻めで土地を追われた農民も多かったのですが、半兵衛はそんな農民に田畑を提供したと伝えられています。
そんな半兵衛に地元の農民は感謝。
城攻めの最中に半兵衛は病でこの世を去ってしまうのですが、農民たちは墓をたてて半兵衛の霊を弔ったということです。
一方、黒田官兵衛の兵糧攻めは、半兵衛のやり方とは大きく異なりました。
三木城を落としたあと、秀吉軍が次に攻めたのは鳥取城でしたが、このとき戦いの指揮をとったのは黒田官兵衛。
官兵衛のやり方はこうです。
まず、田畑を徹底的に焼き払います。
そして、農民たちを城の中へ追い込んでいきます。
鳥取城は、またたく間に農民たちであふれかえりました。
すると城の中の食料はあっという間に尽き果て、餓死する人が続出。
鳥取城はあっけなく陥落しました。
この官兵衛の兵糧攻め。農民からは恨みを買うことになってしまいましたが、その一方で城を短い期間で落とすことには成功しました。
竹中半兵衛が三木城を落とすためにかけた年月はおよそ2年。
これに対し、黒田官兵衛が鳥取城を落とすのに要した期間は、その5分の1以下のわずか4か月でした。
半兵衛と官兵衛、2人の軍師の対照的な戦い方、皆さんはどうご覧になりますか?
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/detail/dj-nihonshi20190609.html
半兵衛の方は領民想いで人間としてホワイト、官兵衛はブラックとなっています。
「実をとる」人間は直線的な行動をとることが多く、回りくどく言わずハッキリ言う人が多いです。
そう『ここは天下を狙うチャンス』だみたいに(笑)
半兵衛と官兵衛の中身は全く違うのか?
方針がホワイトな半兵衛、対してブラックな官兵衛。二人の中身は全く違うのか?
エピソード5
ある日、秀吉が休んでいる城に、怒りもあらわに怒鳴り込んできた官兵衛。そんな彼に出会った半兵衛が理由を尋ねると、官兵衛は手に持っていた書状を突きつけてこう言いました。
出展:Rekisiri https://rekisiru.com/4931
「秀吉様はこの書状で、私に領地の加増を約束してくださったのに、一向に加増してくださる気配がない。よって、今からこの書状の審議について直談判しに参ったのだ」と。
そんな怒りの形相の官兵衛から書状を突きつけられた半兵衛は、何とも驚きの行動に出ました。
なんと、官兵衛からその書状を奪い、ビリビリに破り捨ててしまったのです。そして、呆気にとられる官兵衛に対して、半兵衛は厳しくこう諭したのでした。
「こんな文書をいつまでも大事にしておくから、そんな風に不満に思うのだ。それに、そんな文書にいちいち一喜一憂していたら、君自身のためにもならない」と。
ちなみに半兵衛は、秀吉から加増を約束する書状を贈られた際「このようなものは竹中家の家中争いの元になるだけですので不要です」と破り捨てたというエピソードも残しています。
半兵衛が完全に真っ白な人間だった場合
『秀吉様はなんて不義理なお人だ!!!』と官兵衛に加勢します。
男気を見せて『オレが代わりに言ってやろう』などと言う可能性もあります。
そこを
「秀吉をいい意味で全面的に信用してはダメだぞ。こんな紙如きに踊らされて(こんな文書をいつまでも大事にしておくから、そんな風に不満に思うのだ。)
そんなことをモチベーションでやっていると自身のパフォーマンスにムラが出て安定感が損なわれるぞ(それに、そんな文書にいちいち一喜一憂していたら、君自身のためにもならない)」
と諭すのです。
半兵衛は官兵衛にブラックな話を指導しています。
半兵衛は人間が持つブラックさが分かるのです。
逆に官兵衛はなぜ分からなかったのでしょう?
この時まだ若輩者だった官兵衛。さすがに自分自身に降りかかった時には冷静に判断出来なかったのではないかと考えます。
そして半兵衛の指導は見事と言えます。
本当に官兵衛の事を思って言っているのが伝わります。
君自身のためにもならない
↑イチ先輩軍師、人間として官兵衛には一本立ちして欲しいと思う気持ちが伝わります。
J社の牟田口と大違いwww
何が違うか?行動が違います。
窮地に陥った時半兵衛は官兵衛の息子の命を助けます。
出展:Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/102561
翻ってJ社の牟田口はどうか?
自分の責任はないことを吹聴してまわり全責任を押しつけてきます。
この話から見るにエピソード4で半兵衛は全て分かった上でホワイトな方を選択していた人物と考えられるのです。
指導後・・・
黒田官兵衛はこの後も黒さを残したまま生涯を過ごします。
半兵衛の言ったことが分からなかったではなく、しっかり学習しています。
それは自身の行動や特に人への指導になって表れています。
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身の回りの物を家臣に払い下げていた。この事についてある家臣が「何故、我等家来に売り渡しますか。どうせなら下賜されれば宜しいでしょう」と言った所、「くれてやりたいが、くれてやれる物は限りがあり、貰えなかった者は不平感が募るであろう。だから払い下げるのだ。こうすれば銭の無い者や銭を失いたくない者は買わぬであろう。こうして多少なりとも不公平にならずにしようと思うのだ」と言ったという。
家臣に対しては、諄々に教え諭す様にして極力叱る事の無い様にしていたが、どうしてもという時は猛烈に叱りつけた。ただし、叱った後に簡単な仕事を言いつけたりして後腐れの無い様に心がける事も忘れなかったという。ちなみに家督を継いでから隠居するまでの間、一人の家臣も手討ちにしたり、死罪を命じたりしていない。
とあります。
優秀でブラックなところ、そこに官兵衛の魅力を感じ1文字拝借しました。